はじめに:「趣味はお茶とお花を少々」という決まり文句
昭和の時代、特に1950年代から1980年代にかけて、日本の女性が履歴書や自己紹介、見合いの場などで口にする「定番フレーズ」としてよく知られていた言葉に、「趣味はお茶とお花を少々ございます」というものがあります。この言葉には、教養や品位、家庭的な印象を与える意図が含まれていました。
だが、このフレーズは本当に当時の女性たちにとってリアルな趣味だったのでしょうか?また、令和の現代において「お茶とお花」はどれほどの人に親しまれているのでしょうか?
この記事では、かつての「お茶とお花」が持っていた意味、現在の普及状況、そしてその魅力について詳しく探っていきます。

昭和の女性の「教養」としての茶道・華道
女性のたしなみとしての教養文化
昭和の高度経済成長期、日本の多くの家庭では「良妻賢母」的価値観が色濃く残っていました。女性は結婚して家庭に入り、家事や育児を担うことが当たり前とされていた時代です。そんな中で、「お茶やお花を習っていること」は、上品で礼儀正しく、嫁としてふさわしい教養の象徴とされていました。
特に見合い結婚が一般的だった時代には、見合い写真の裏に「趣味:お茶とお花」と書いてあるだけで「育ちの良い女性」と見なされることも多かったのです。
実際に習っていた人は多かったのか?
当時の女性の中には、花嫁修業の一環として本当に茶道や華道を習っていた人も多く存在しました。特に都市部の中流家庭以上の女性にとって、習い事としての茶道・華道は非常にポピュラーで、学校のクラブ活動や地域の婦人会、カルチャーセンターなどで広く行われていました。
ただし、すべての女性が真剣に打ち込んでいたわけではなく、「あくまで形式的に習っていただけ」というケースも多かったと言われています。「少々ございます」という表現には、控えめな日本語の美徳が反映されている一方で、「あまり深くはやっていません」という保険の意味合いもあったのかもしれません。

現代における茶道・華道の普及状況
習い事としての実態
公益社団法人全日本華道連盟の調査(令和4年)によると、華道の人口は約130万人と推定されています。また、裏千家・表千家・武者小路千家などの茶道の流派では、それぞれ数十万人単位の門下生が登録されていますが、昭和のピーク時から比べると大きく減少しています。
令和の今、若者を中心に「お茶やお花」を趣味として始める人の数は減少傾向にあります。特に忙しい現代社会では、稽古に通う時間や経済的余裕がハードルとなっていることが多いようです。
しかし、減っているとはいえゼロではなく、むしろ「静かなブーム」も見られます。
若者や外国人に広がる新たな動き
最近では、インスタグラムやYouTubeなどのSNSで「和の文化」を紹介する若者たちも増えており、茶道や華道の魅力を再発見する動きも出ています。また、日本文化への関心が高い外国人観光客の中には、体験教室をきっかけに茶道や華道を本格的に学び始める人もいます。
さらに、ホテルや旅館での体験型ワークショップや、カフェと融合した「茶道バー」なども登場し、従来の堅苦しいイメージを変える試みも進んでいます。

茶道と華道、それぞれの魅力
茶道の魅力:一服の中にある「間」と「心」
茶道とは、ただお茶を点てて飲むだけではなく、「一期一会」の精神をもって、空間、動作、道具、会話など全てに気を配る総合芸術とも言えます。和敬清寂(わけいせいじゃく)という言葉に象徴されるように、相手を敬い、場を整え、自分の心を静めるという精神的な修行でもあります。
忙しい現代人にとって、茶道の持つ「間を味わう」時間は、むしろ必要とされているとも言えるでしょう。
華道の魅力:自然との対話、美の感性を磨く
華道は、花を「飾る」のではなく「生ける」ことを通して、自然との対話を行います。四季折々の草花の命を感じ取り、限られた空間に美しさと静けさを表現する行為は、自己表現と瞑想にも通じます。
現代では、フラワーアレンジメントとはまた違う、線と空間を重視した「いけばな」の独自性が再評価されつつあります。
変わりゆく「趣味の表現」
今の若者は何を「趣味」と言うのか?
かつては、控えめで品のある印象を与えるために「お茶とお花を少々」と言っていた女性たち。しかし現代の若者たちは、SNSやマッチングアプリのプロフィールに「旅行」「カフェ巡り」「ゲーム」「漫画」「筋トレ」「推し活」など、より自分らしい趣味を堂々と表現する時代になりました。
「控えめに取り繕う」よりも、「自分を表現する」時代になったとも言えます。
それでも「お茶とお花」はなくならない
たしかに、「趣味はお茶とお花」と語る若者は少なくなりました。しかし、茶道や華道が持つ「静けさ」「内面と向き合う時間」「自然を尊ぶ心」は、今なお多くの人の心を打ちます。
形を変えて、時代に合ったかたちで、これからも「和の趣味」は生き続けるのではないでしょうか。

まとめ:懐かしくも、今こそ新しい「お茶とお花」
「趣味はお茶とお花を少々ございます」――昭和の時代を知る人にとっては、少し気取った、あるいは型にはまった表現に思えるかもしれません。しかしその背後には、日本文化の奥深さや、女性が社会と向き合う中での控えめな自己表現という意味が込められていました。
令和の現代、私たちはもっと自由に趣味を語り、自分を表現できます。しかし、そんな今だからこそ、「お茶とお花」の持つ静かな魅力が、改めて必要とされているのかもしれません。
趣味とは、自分を満たし、心を整えるもの。そして、それがどんなに古くても、自分に合っていればそれが一番の趣味になる。そう考えると、「お茶とお花を少々」という言葉が、静かに、でも確かに息づいていることに、なんだかほっとするのです。